46歳で診断されたADHDとASD:確定までの1年間の記録

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発達障がい
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46歳でADHD(注意欠如・多動性障害)とASD(自閉症スペクトラム障害)と診断された私の経験をご紹介します。診断確定までに1年の時間がかかり、その間には戸惑いも安心もありました。この記事は、私が診断に至るまでの流れやその時々の気持ちを記録したものです。同じような状況にある方々に、少しでも参考になればと思います。ただし、これは私個人の体験であり、全ての方に当てはまるものではないことをご理解ください。

新しいクリニックとの出会い:発達障害のきっかけ

以前通院していたクリニックは県外にあり、通院が困難になりました。そのため、紹介された地元のクリニックで診療を受けることになりました。そこで初めて「発達障害」の可能性を指摘され、診断までのプロセスが始まりました。通い慣れた場所から新しい環境に変わることには不安がありましたが、その一歩が大きな発見につながりました。

初診と問診:検査の第一歩

予約日にクリニックを訪れると、最初に臨床心理士による問診がありました。この問診では、「木の絵を描く」という課題が出されました。絵を描きながら、「子供の頃はどんな性格だったか」「学校生活はどうだったか」といった質問がなされました。さらに、小中学校時代の通信簿を見せることを求められました。当時の成績や教師のコメントが、診断の一部として参考にされたのです。その後、ウェクスラー知能検査(WISC-Ⅲ)を受けることになりました。これらのプロセスは、自分の特性を振り返る貴重な機会でもありました。

カウンセリングの開始:自分の気持ちを伝える方法

診察と並行して、担当の臨床心理士によるカウンセリングが始まりました。当初、自分の気持ちをうまく言葉にするのが難しかった私は、伝えたいことをパソコンで入力し、プリントアウトした紙を心理士や主治医に読んでもらう方法を取りました。この方法により、自分の考えを正確に伝えることができ、少しずつ安心感を得ることができました。次第に、カウンセリングを通じて自分の気持ちを言葉で表現できるようになり、紙に頼ることは少なくなっていきました。

人間関係の改善と特性の理解

カウンセリングの中で、特に注力したのは「人間関係」の改善でした。私は相手の気持ちを汲み取るのが苦手で、誤解を生むことも多かったのですが、心理士からアドバイスを受けることで少しずつコミュニケーションの方法を学びました。また、自分の特性についても「それは自分にとっての個性であり、弱点ではない」という意識が芽生え、前向きに受け入れられるようになりました。

診断確定:ついに訪れた瞬間

診断開始から約1年後、主治医からの診断確定の説明がありました。主治医の最初の言葉は、「貴女は発達障害ですので、今日からその薬を処方します」というものでした。その後、以下のような特性について詳しく説明されました。

難しさと課題

  • 物事を深く考えずに行動するため、失敗を繰り返しやすい
  • コミュニケーション能力は12歳程度に留まる

強みと可能性

  • 慣れれば作業を非常に速くこなすことができる
  • 言葉での理解力が高い
  • 知的障害や学習障害はない

診断を受けた瞬間、「やっと自分のことが分かった」という安心感と、「これからどう生きていくべきか」を考える責任感の両方が湧きました。

診断後の心境:新しいスタート

診断を受けてからは、自分の特性を理解し、それに応じた生活の工夫を心がけるようになりました。ただし、診断によって特性が「治る」わけではありません。そのため、「どう付き合っていくか」を考えることが重要です。特性を活かしながら、自分らしい生き方を追求することが、私にとっての課題となりました。

最後に:発達障害と共に生きる決意

診断を受けるまでの1年間は、長いようでいて振り返るとあっという間の期間でした。この期間を通じて、自分を理解し、受け入れるきっかけを得ることができました。発達障害は「個性の一部」であり、それを前向きに捉えることで新たな人生の目標が見えてきます。これからも自分自身を大切にしながら、日々を歩んでいきたいと思います。

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