~未来の私から現在の私へのインタビュー~

本ページにはプロモーションが含まれています。
本ページにはプロポーションが含まれています。
発達障がい
記事内に広告が含まれています。

あなたは、自分のことをいつから覚えていますか?

大体4~5歳ぐらいからです。それ以前のことについては写真をみて母に色々尋ねたりしていました。

体験記には幼稚園時代のことが書かれてありましたが、幼稚園の先生からいつその話を聞き、その時どう思いましたか?

約1年前に先生から聞いた話では、幼稚園時代他の子供と少し違っていたことは分かっていたものの、マイクを握って話し出すようなことまでするなんて思わなかったとのことでした。先生に「当時の私をどう思われたか?」と尋ねた際、先生は「ちょっと元気のいい女の子と思った」と言いながらも、母とも色々話をしていたので、独特の言動があったようです。

当時の教育現場では「発達障がい」という概念がまだ一般的ではなく、1980年代頃から少しずつ認知されるようになってきたため、その頃は「変わった子」として片付けられることが多かったようです。今の時代であれば、発達障がいに対する理解が進んでおり、個々の特性に合わせたサポートやアプローチが取られるため、適切にサポートを受けながら個性を尊重される教育を受けられたかもしれません。この点を考えると、当時との環境の違いを改めて感じさせられます。

小、中学校でいじめにあい、高校や大学、職場で人間関係に悩まされていますが何が原因だったと思いますか?

よく「人の気持ちがわからない」「空気が読めない」と言われていましたが、当時の私はその意味が分かりませんでした。むしろ「なぜそんなことを言われるのだろう?」と疑問に感じていました。今になってその意味が理解できるようになり、当時の自分を少し客観的に見つめ直せています。

関係が悪化して以降お母さんとはどのように接してきましたか?

鉗子分娩で生まれたことは以前から聞かされていましたが、本で「鉗子分娩が発達障がいにつながる可能性がある」と知ったとき、それが母との関係に影響を与え、冷静には受け止められませんでした。母との喧嘩が絶えず、私自身どう対処すべきか分からない日々が続きました。母は怒るばかりで真実を話してくれず、幼稚園の先生からの話も忘れていたかもしれません。その後、母が病気となり最期を看取りましたが、結局真実は分からずじまいでした。

あなたの今の気持ちを教えてください。

鉗子分娩が本当に私の発達障がいの原因かは今となっては分かりませんが、母には私としっかり向き合ってほしかったと感じています。最近もし発達障がいがなければどんな人生を送っていただろうと考えることもありますが、過去を思い悩んでも仕方がないと悟りました。振り返らず、前を向いて歩むことこそが、これからの私の人生を充実させる道だと信じています。

最後に生まれ変わったらどのような人生を歩みたいですか?

具体的にはまだ決まっていませんが、障がいのある方に関わり支援できる仕事に就きたいと考えています。その気持ちは強く持っています。

タイトルとURLをコピーしました